最初に開発した会社から
権利譲渡を受けるまで
一方、健康を損なった橘井氏は、以前のような“攻めの営業”ができなくなっていた。得意先回りをしようにも体力が続かない。どうにか訪れた先では食が細って痩せた橘井氏を見て、顧客が複雑な表情を浮かべる。会社の業績は徐々に低迷し始めた。会社を離れる社員も少なからずいて、社員は10人前後にまで減ってしまった。
「こちらから営業に出向かなくても、お客様が買いに来るような事業を展開したい」──そう考えた橘井氏は、自分が何をやってみたいのか、他の人があまりやっていないことは何か、これから成長が期待できる分野は何なのかを自問した。
得られた答えは「健康」と「環境」だった。冒頭に紹介した「自分のことしか考えられなくなる」という言葉は、このことを意味している。
1994年、正和電工は環境事業部を設立し、本格的にバイオトイレの研究開発に乗り出す。長野県の会社から購入したバイオトイレは、「単なる電気製品」(橘井氏)といってもいい程度の品物だった。
一番の問題はスクリューにあった。いつも同じ方向に回転するせいで、トイレとして使えば使うほど、おがくずが一方に偏って、壁面におがくずが押し付けられてしまう。おがくずが軽いとはいっても、湿り気を帯びたおがくずが圧縮されれば、金属製のスクリューが折れるほどの力を持つ。
橘井氏は長野県の会社に機器の改良を提案したが「『橘井さんの言うとおりにやるとコストがあがる一方だから、改良したいならどうぞご自由に』と言われましてね(苦笑)」。
そうこうするうちに、長野県の会社は資金繰りが悪化し、倒産してしまった。バイオトイレの将来性を確信していた橘井氏は、長野県の会社に事業譲渡を申し入れる。協議の末、その会社が所有していた意匠登録と「バイオセルフ」という商標登録を含めて、バイオトイレ事業のすべてを正和電工は買い取ることができた。

橘井氏が乗っている自転車は無電源タイプのバイオトイレに取り付けられたもの。自転車のペダルを踏んでスクリューを回転させる。
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