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大病を患ったことが
バイオトイレと出合うきっかけに

「人間は自分に何かあると、ビジネスのことなんて考えないものです。自分が困っていることにしか目が向かなくなって、自分のことしか考えなくなる」――正和電工株式会社 代表取締役の橘井敏弘氏は、バイオトイレを手掛けるきっかけになった15年前の出来事を振り返りながら、そう自嘲気味に語る。

1992年当時の正和電工は社員数18人の、電気製品の卸事業を営む会社だった。橘井氏は社長業を務めるかたわら、自らトップセールスとして日夜営業活動にいそしんでいた。健康には人一倍の自信があり、多忙ながらも充実した日々を送っていたという。

人間ドックで胃に小さな影が見つかったとき、橘井氏は45歳だった。

「全く自覚症状がなかったから驚きましてね。入院して精密検査をしてみたら、胃がんだといわれて……。結局、胃の5分の4を切除したんです」(橘井氏)。

手術は成功したものの、その後は思うように食事をとれなくなった。退院したばかりのころは、乳酸菌飲料の小瓶を飲み干すだけで、何時間もかかったという。やがて外食できるまでに体力は回復したが、1人前の食事を食べきることができない。橘井氏は食べ残したものを眺めながら、「もったいない」と胸を痛めていた。

正和電工株式会社 代表取締役 橘井 敏弘 氏

正和電工株式会社
代表取締役 橘井 敏弘 氏

当時はまだ生ごみ処理機が出始めのころで、一般にはさほど知られていなかった。橘井氏も「食べ残しは家畜のエサにするか、ごみとして捨てるしかないと思っていました」と言う。以前とは違い、食べ残すようになったことをきっかけに、橘井氏は食物残さの行方を調べ始める。東京や大阪で生ごみ処理機などを集めた展示会が行われていることを知った。

「さっそく展示会に行って、色々な製品の資料を集めました。その1つにバイオの力を使った生ごみ処理機のカタログがあって、よくよく見たら、トイレにも応用可能と書いてあった。私は農家の息子で、かつて糞尿を畑にまいた経験がありましたから、生ごみ処理機以上に、排泄物を処理して肥料にするというトイレにひかれたんです」(橘井氏)。

それこそが現在、正和電工が手掛けるバイオトイレの原型だった。橘井氏は製品を開発した長野県の会社を訪ね、バイオトイレの実物を目にする。おがくずを使って排泄物が処理できることに「カルチャーショックを受けた」橘井氏は、バイオトイレを自宅に設置したいと申し入れた。

橘井氏が住む北海道旭川市は、三浦綾子の代表作『氷点』の舞台となった極寒の地だ。1902年には日本の最低気温を記録している。元々のバイオトイレはそれだけの寒さを想定して作られていないため、長野県の会社は設置を渋ったが、橘井氏は粘った。「私は電気屋ですから、温度の問題は自分で何とでも改良します」と説得したという。

橘井氏の情熱が通じたのが、無事、橘井邸にバイオトイレが設置されることになった。その後、橘井氏は自宅でバイオトイレを使いながら、製品の改良を考え始める。このときはビジネスとしてではなく、自分自身の問題意識の下に動いているだけだった――。

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