(山脇 正俊=近自然学研究家)
近自然学は豊かさを認める。と同時に、環境にも配慮する。環境に配慮するのは、子供たちの代やその後の世代にも豊かさを持続させたいからだ。川づくりやまちづくりと同様に、ビジネスにおいても、この「豊かさと環境の両立」という大原則は変わらない。
個人や企業の経営が上手くいって、仕事がやりがいのあるものとなる。同時に、それらの行動が地球環境にインパクトを与えない。そんな新しいビジネスを「環境共生ビジネス」と呼ぶ。いったいそれはどんなものなのか?
今までの経済モデルでは、企業も国家も、成長することを「是」としてきた。年2%の成長を続けると、70年後には4倍に、140年後には16倍に売り上げやGDP(国内総生産)が増える…そんな状況を想定してきたわけだ。永遠の成長という呪縛から解き放たれるところから、新しいビジネスは始まる。
環境共生ビジネスは、「地下資源と石油エネルギーの節約」によってコストダウンを実現する。そして付加価値アップは「マンパワーの投入」で達成したい。そうすれば、環境負荷を少なくできる上に、手元に残る所得(利益)が増えて我々は豊かになれる。これこそが環境共生共存のあるべき姿ではないか。
今までの経済モデルは売り上げ(収入)を増やそうとするのが一般的であった。そのために、地下資源と石油エネルギー、そして資本を大量投入して生産量を増やしてきた。同時に、経費削減のために人件費を削減した。これが集約化だ。
このやり方は、ある企業の短期的な経営改善には貢献するかもしれないが、環境共生共存の視点から見れば間違ったやり方である。地下資源と石油エネルギーの大量投入は、環境負荷が大きい。同時に、原材料に対する支出が大きくなるために、手元に残る所得はさほど増えない。さらに、広範囲な人件費の削減により、日本国内に失業者が溢れることになる。失業者は、社会(つまり我々みなのこと)が支えなければならない。
これでは、環境は壊され、我々は貧しくなってしまう。現在のビジネスは、持続し得ないビジネスなのだ。
新しいビジネスのススメでは、以下の点について、述べていく。
- 環境共生こそがビジネスの救世主
- 「環境負荷ビジネス」から「環境共生ビジネス」への転換
- 「経済か環境か」という議論はナンセンス
- 「環境貢献プレミアム」と「環境負荷ペナルティー」が経済を変えるツール
- 成長の呪縛から解放された新しいビジネス
- 環境共生に適合したコストダウンのし方
- 環境共生に適合した付加価値アップのし方
- 収入(売り上げ)から所得(利益)への価値の転換
- ライフスタイルの転換とビジネス
- 環境共生は新たなビジネスチャンス
1. 環境共生こそがビジネスの救世主
今までのビジネスは石油エネルギーに依存していたと言えよう。しかし、石油はあと40年から50年で枯渇すると言われる。枯渇する前には、資本主義経済の鉄則から考えて、その価格は高騰するだろう。そんな石油に依存したビジネスに明るい未来はない、と考えるのは妥当だろう。
つまり、石油依存から脱皮した「環境共生ビジネス」への転換が必要になる。環境共生共存こそがビジネスの救世主と考える。
2. 「環境負荷ビジネス」から「環境共生ビジネス」への転換
これまで、環境に負荷をかけても、それはタダであった。様々な環境対策の費用は、他者が税金などから支払っていたからである。だから、環境に付加をかけるビジネス、すなわち「環境負荷ビジネス」が大きな利益を生んできたわけだ。環境に付加をかけても大きな利益を生むなら、経営者は企業の存続のために環境負荷ビジネスに走るだろう。
しかし、これではフェアではないし、社会全体としては大きな経済負担を負うことになる。一度壊した物を修復するのは、壊さないように予防するより、何倍ものエネルギーとお金を必要とする。そして何より、結果的に環境負荷を奨励することになってしまう。
3. 「経済か環境か」という議論はナンセンス
我々の日常のあらゆる場面で、「経済か環境か(または「開発か保護か」、「人間か動植物か」)」という対立がある。これは、「経済を優先するか環境を優先するか」ということであり、経済を優先すれば環境が壊れ、環境を優先すれば経済が立ち行かないことを意味する。
しかし、それは本当だろうか?
かつて、「経済か環境か」、「開発か保護か」、「人間か動植物か」という対立の場面で、恐らくは苦渋の選択として、我々は経済、開発、人間を採った。その結果、環境は壊滅的な打撃を受け、動植物は恐ろしい勢いで絶滅し続けている。
一方、選択したはずの経済、人間は…こちらも、とてもバラ色の状態とは言えないのではないか。我々は両方を失ってしまったのだろうか? もしそうなら、何を間違えたのだろう?
実は、「経済か環境か」、「開発か保護か」、「人間か動植物か」という議論はとても短期的、局地的なもので、長期的に広い視野で考えればナンセンスと言えよう。環境を破綻しては、それに依存して生きている人類の豊かな未来はあり得ない。同じ地球環境に適応する多くの動植物が生きられない厳しい環境では、人類の生活も容易ではない。
つまり、本来、この経済と環境の二つはどちらか一方を選ばなければならないという二者択一ではないし、根本的に対立する物ではないと考えるのが妥当だろう。一時的に、しかも、ある場所だけで対立しているように見えているだけなのではないか。
地球環境のために豊かさを落とさなければならないなら…それは厳しい。しかし、このまま地球環境が悪化し続けるなら、人類の生存のために豊かさを諦めなければならない時が遠からず来そうな情勢だ。そんな、ハードランディングはなんとか避けたい。
4. 「環境貢献プレミアム」と「環境負荷ペナルティー」が経済を変えるツール
我々の豊かさを持続させるためにも、また、企業の存続と繁栄のためにも、環境共生ビジネスをできるだけ早く実現し広めたい。それをバックアップするのが、「環境貢献プレミアム」と「環境負荷ペナルティー」だ。

表1:環境貢献プレミアム

表2:環境負荷ペナルティー

表3:プレミアムとペナルティー
環境貢献にはプレミアムを
環境のために良い行為をした者に対して出すのが環境貢献プレミアムだ。環境貢献を進めるための心理的物理的支援と言える。報賞金、奨励金、補助金、ラベリング、表彰、名前公表などの形を取るのが一般的だ。
具体例を挙げよう。
近年、通勤通学時間が伸びる傾向にある。これは、通勤通学する本人にとっても精神的肉体的苦痛だが、地球環境にも大きな負荷となる。さらに、近い場所で何でも間に合うという都市の機能性をも損なう。つまり、三重に好ましくない。
そこで、例えば、オフィスから500m以内に住むなら、そのアパートなどの家賃の10%程度を市町村が負担する。これがプレミアムだ。また、都市内の公共交通を100円均一にしたり、いっそのこと乗り放題の無料にすることも考えられる。経済的にも十分ペイすることだろう。
都市の外れのパーク&ライド駐車場にクルマをとめたら、その駐車券が都市内交通の乗り放題乗車券にもなる、というシステムも面白い。これらも、プレミアムの例だ。
有機農産物に対する認証制度をラベリングと言う。これも環境貢献プレミアムの一形態だ。さらに、スイスでは、「農業」補助金を「環境」補助金として支払うように制度を変えた。これもプレミアムの例と言えよう。
スイスの環境補助金制度
スイスと日本は、世界でも、多額の農業補助金を支出している国の代表だ。それに対して、アメリカやWTO(世界貿易機関)などから強いプレッシャーがかけられている。しかし、これも、環境貢献プレミアムという形での支給なら、その圧力をかわしやすいだろう。スイスでは1986年に「農業」補助金の制度を変え、実質的な「環境」補助金に衣替えしている。もちろん、その場合には農業の体質改善が前提条件であることは言うまでもない。
それまでは、農産物に対して農業補助金が支出されていた。このため、得られる補助金の額を増やすために農業を集約化して、収穫量を増やそうとしがちであった。新しい補助金は農地面積に対して支払われる。つまり、農業を近自然化することで多少収穫量が減っても補助金の額は変わらない。それどころか、農地面積の7%が近自然化(粗放化、ランドシャフト配慮、など)されていないと補助金が支払われない。環境やランドシャフト(*)に貢献することを、農業補助金の条件にしたわけだ。
この結果、スイスではそれまで一般的であった農薬や化学肥料を大量投入する農法が急激に姿を消し、今では、すべてが有機または減農薬農法に転換した。これは、人件費の高いスイスの農業が、価格競争から脱皮して新たな付加価値アップを目指すことをバックアップする。
環境負荷にはペナルティーを
一方、環境のために良くない行為をした者に対して課すのが環境負荷ペナルティーだ。環境負荷行為に対する心理的物理的制裁とも言える。税金、関税、罰金、勧告・警告・指導、名前公表などの形を取るのが一般的だ。
今までは環境に負荷をかけてもタダ。環境対策費を他の者が税金などを使って肩代わりして支払っていることは述べた。しかし、環境負荷を出す本人が、そのために生じる環境対策費を負担するのがフェアだろう。共有財産を傷付ければ、その加害者が損害を弁償するべきだというのが加害者負担原則だ。この考えを形にしたものが環境負荷ペナルティーである。
今、全世界で税収が減っているのはご承知の通り。そこで、環境負荷行為から新たな税金(ペナルティー)を徴収するのは、多くの住民の理解を得やすい。とてもスマートなやり方と言えよう。
環境に負荷を与えないならプレミアムを出したい
クルマに乗ったり缶ビールを買うなど、多くの人たちがごく一般的にしている環境負荷行為をあえてしない場合には環境貢献プレミアムを出す。また反対に、まだ十分に使える物のリユース(再使用)やゴミの分別など、市民として当然やるべき環境貢献をしない場合には環境負荷ペナルティーを課すのが好ましい。しかし、実行しない行為に対してプレミアムやペナルティーを出すことは、実際の運営上、難しいと思われる。これから上手い手法を皆で考えていかなければならないだろう
プレミアムとペナルティーが我々の行動の自由を確保する
近自然学では、人々の行動の自由をできるだけ確保したい。しかし、現状では、環境負荷がタダであり、他人に負担を強いるなど、すべての行為を自由とするには大きな問題が存在している。環境貢献プレミアムと環境負荷ペナルティーが浸透すれば、その状況は変わる。
環境貢献プレミアムと環境負荷ペナルティーが定着すれば、環境負荷ビジネスは採算が取れなくなる。逆に環境共生ビジネスは、経済的にたいへん有利になる。そして、それは社会全体の利益となり、全人類にとっても好都合である。これから真剣に取り組みたいテーマだ。
例えば、環境負荷ペナルティーを課すことによってガソリンの価格が今の6〜7倍になれば、クルマに乗ることも、アイドリングでエンジンを回しっぱなしにすることなども、個人の判断に任せてよいだろう。
*:ランドシャフトとは「五感+心」で認識できる物や事象の総体(ドイツ語)。たたずまい(姿)、音、匂い、感触、感動などのこと。景観・景域・風景・風土・情景という日本語の表現もある。気持良いかどうかがランドシャフト評価のポイントと言える。
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コメント一覧
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こんにちは
今日は,一読者としての立場からです。
環境ペナルティーについて,英国では,GPS技術を使い,全ての自動車にGPSを取り付け,走行距離に合わせて課金する社会実験をマンチェスターで行なう?(計画中?)というニュースを耳にしました。渋滞ケ所の走行では,1キロあたり200円とか300円とかの課金で,郊外ではその5分の1くらい。そのかわり,これまでの道路に関する税金を廃止する方向とか。
渋滞が経済に与える損失は膨大なもので,それを防ぐ目的だとか。同時に,CO2排出も減少させるという狙いだそうです。これだと,自動車の燃料がガソリンから自然エネルギーに変わっても,渋滞にはならないということも同時に防ぐということで,燃料に課税する現在の日本の方法とは別のことを考えたようです。
日本では,燃料に課税する制度を逆手にとって,まだ燃料そのものが高価なバイオディーゼルとかが入り込める余地がありますが,走行に課税となると,これもままならなくなりますね。
GPSは,とてもハイテクですが,こういうのって,どう思われますか? 公平,公正にペナルティーに成りえると思われますか?
日本でも,ETCを使って,渋滞ケ所に車を入れないなどの提案がありますが,ペナルティーの対象となる行為への課金なりを「どの段階」で測る(評価する?)のか,例えば,車なら,どういうことが適性なものとして想定されるでしょう? やはり,車や燃料を購入する段階ですかね?
=筆者からのレス=
あなぐま君のコメントに
早速のコメントありがとうございました。
「GPSは,とてもハイテクですが,こういうのって,どう思われますか? 公平,公正にペナルティーに成りえると思われますか?」
渋滞を回避する目的での、ハイテクを利用したペナルティーですね。
私見を述べます。
ペナルティーは環境負荷がタダであるという不公平をなくすために、環境負荷行為に対して課すものです。それがどんな波及効果をもたらせるのかは、結果です。事前には思いもよらない方向へ発展することもあり得ます。それは皆がそう反応したからですから、それでいいんですね。
交通渋滞は確かに環境負荷ですし、同時に経済負荷でもあります。これをなくしたいと思うのは当然です。ですから、ハイテクを使って税金をかけて、クルマの流れをコントロールしようという気持も分かります。しかし、原則論としては、原因を取り除くことが問題解決となります。渋滞の原因とは何でしょう? 少なくとも、税金が安いから渋滞が起こるわけではありませんね。では、交通渋滞の本当の原因は何でしょうか?
渋滞はなぜ起こるのか?
*ある特定の場所(道路など)で、出て行くクルマより入って来るクルマの方が多いからですね。その差がどんどん溜まっていくわけです。では、なぜそんなことになるのか?
*住んでいる所とオフィス、学校、商店などが離れている
*同じ方向に同時刻に動く
*皆がクルマを使う
*交通の流れが悪い
主なものはこんなところでしょうか。この原因をひとつずつ潰して行くのが問題解決です。そうしないと、症状を軽くするだけの「対症療法」になったり、一時しのぎで小手先だけの対応である「ハシゴ段のつぎ足し」になりがちです。
近自然学でも「まちづくり」や「道づくり」でこれに関連する具体的な提案をしています。つまり、解決の基本は、新しい都市計画などで、毎日の人の流れや物流が不必要な社会をつくること。そして、どうしても必要は物流や人の流れは、鉄道を中心とした公共交通に委ねること。交通をクルマの群れや流れとして捉えて、交通システムや道路システムを整備すること。それに、ガソリンに環境負荷ペナルティーをしっかりかけること。などです。
ハイテクがいけないわけではありませんが、実現と運用に多額の投資が必要となり、通行税を必要以上に高く設定しなければならなくなるでしょう。また、複雑なシステムには事故などの弱点を反面として持ちます。そして、忘れてはならないのが、個人のプライバシーの問題です。他に方法がないなら致し方ありませんが、採用には慎重を要します。
未来の社会は、気持の良い生活しやすいものを目指したいですね。それは、ハイテクのバックアップは当然ありながらも、我々が接する部分はできるだけローテクにすることが、ひとつのヒントになるのではないかと思っています。何から何まで電化したり、自動化したり、ハイテクにするやり方を、私個人は支持できません。
山脇さん
丁寧なレスありがとうございます。渋滞のこと,適切な技術のこと,なるほどです。で,前回,うまく質問していかなかったようなので,質問の仕方を変えます。
前回,特に,聞きたかったことは「ペナルティーをかけるタイミング」です。これは,たとえば,購入した段階,つまり最初からかけておくのか,使用の段階,つまり,直接的な負荷を出した段階なのか,ということなど,そういう「タイミング」として,分かりやすく,公平で公正なタイミングは,いつだとお考えでしょうか?という質問でした。言葉足らずでもうしわけなかったです。おかげで,違う話を聞けて,私としてはラッキーだったのですが,やはり,タイミングについても質問しておきたいと思います。山脇さんのお話では,購入した時がタイミングだ!と,そのように読めているのですが。
イギリスのハイテク使用は,憶測では,「公平」「漏れがないように」に主眼を置いたものと思われます。適切な方法かどうかは,なとも言えませんが,タイミングとしては「実際に使用した時」だと考えているようですね。
ちなみに,このコラムと並行して連載しているpacoさんのコラムの方でも,リサイクル費用の負担金を支払う「タイミング」についての激論が起こっています。pacoさんも「購入した時」とお考えのようですね。
=筆者からのレス=
(あなぐま君、2005/06/14)のコメントに
「前回,特に,聞きたかったことは「ペナルティーをかけるタイミング」です。」
レスのポイントがずれてしまったようで、申し訳ありません。
「ペナルティーをかけるタイミング」について、考えてみました。
環境負荷行為が行われた時点で課すのが基本です。
特に大きな負荷はキャッチしやすいので、そうするのが適切でしょう。
例えば、建設会社などが山林を大規模に購入しただけでは、本格的なペナルティーはかけれません。警告程度でしょうか。まあ、これもペナルティーの1種ですが……。開発計画が出た時点で、本格的なペナルティーをかけます。まず環境アセス(環境への負荷を調査する)をさせ、ミティゲーション(環境破壊を緩和させる)措置の提示を求めます。これもペナルティーの1種ですね。このミティゲーションが不満足の場合は、共有財産である環境やランドシャフトが壊されるので、市民の代表としての行政がさらに強度のペナルティーをかけることになります。具体的にはさらなるミティゲーション措置の実行命令、罰金の支払いなどです。
喩えが悪いかもしれませんが、ナイフを購入した時点では罰することができなくて、それで他人を傷付けたら裁判をして罰する……みたいなものでしょうか?
小さな負荷が積もり積もって大きくなる物では、事前にペナルティーをかけることも考えられます。つまり、「プリペイド」ですね。
ガソリンなどは、まず、石油を地下から掘り出して輸送し精製するという製造過程での環境負荷は購入時にペナルティーを付加されていることは当然です。さらに、ガソリンという商品の購入時に、それを燃やしたと仮定して、その環境負荷に対するペナルティーを徴収します。確かに、ガソリンを購入した時点ではまだ環境負荷をかけていませんが、購入するのは燃やすためなので、受け入れやすいことだと思います。
実際にはクルマを走らせる(ガソリンを燃やす)ことが環境負荷なのであって、燃やした時にペナルティーをかけるのが良さそうです。しかし、ガソリンを満タンにして放っておくドライバーはいないでしょうし、都会を走るのと田舎道を走るのでは、同じガソリンの使用量でも環境の受けるインパクトは同じではありません。「負荷は集中、対策は分散」原則を思い出してください。それから判断すると、都市内を走る方が、同じガソリンの使用量でもインパクトは小さくなります。渋滞などでガソリンの使用量が増えることはあるでしょうが、その場合は自動的にペナルティーをより多く支払うことになりますね。
************
「このコラムと並行して連載しているpacoさんのコラムの方でも,リサイクル費用の負担金を支払う「タイミング」についての激論が起こっています。pacoさんも「購入した時」とお考えのようですね。」
リサイクル(資源の再生利用)は難しいテーマです。
確かにリサイクルにはエネルギーを使うので環境負荷行為でもあります。しかし、枯渇資源の温存という環境貢献もあるので、プレミウムの対象でもあります。枯渇が早い地下資源にはおおきなプレミウムがつき、そんなに危急の枯渇ではない地下資源には小さなプレミウムがつく。ペナルティーは使用エネルギーに応じてかかる。これらを総合すると、リサイクルは、物によってはプレミウムの方が大きくなり、物によってはペナルティーの方が大きくなるでしょう。
もうひとつ、どんな資源をリサイクルするのかという問題もあります。
バイオマスなどの再生資源はリサイクルしないのを基本とします。もちろん、現時点ではジャングルの消滅を守るという意味で、紙のリサイクルにはある程度の意義がありますが、原則としては燃料として利用し、可能であればその灰を肥料として使って、カスケード利用のサイクルを終えます。
プラスティックなどの石油製品はどうするのか? 私自身、明確な答えを持っていませんが、リサイクルのためのエネルギー量によっては、燃料として熱量利用が良いように思います。エネルギーには環境負荷ペナルティーがかかるので、リサイクルは今より高コストになるでしょう。同様に、プラスティックの製造にも環境負荷ペナルティーがかかるので、木材などが利用できない特殊用途に限られると思います。ペナルティーとプレミウムが普及すれば、経済的にペイするかどうかで、環境のことも同時に判断できるようになるのではないでしょうか?
これらの環境負荷ペナルティーや環境貢献プレミウムを差し置いて、リサイクルの問題を論じるのは、近自然学的ではありませんね。確かに、現状はそうですが、現状を変えようというのが、我々のディスカッションなんですから、あまり現状に引っ張られては、道を誤るように思います。
本当は、リサイクル(枯渇資源の再生利用)よりリユース(モノの再使用)の方が重要ですね。ですから、こちらについてもっと議論して欲しいなと、個人的には思います。
いずれにしても、どうすれば良いのかは、ハッキリした答えがあるわけではなく、これから我々が考えて行くものでしょう。
今度はお答えになったでしょうか?