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バイオマス(生物資源)って何だろう?(5)〜森林と公益機能(1)

2005年3月31日

(中島 敦司)

人間社会は、環境負荷を生み出すものだ。負荷を完全否定しては、人間社会が成り立たない。いっぽう、人間による環境破壊に耐えた生物種で構成された「新」生態系に、人間社会が対応できるかどうかは怪しい。

「生態系保護のためには人間が滅べばいい」との極論を主張するディープエコロジストもいる。しかし、他の多くの人々は、少なくとも自分と親しい人たちだけは滅んでほしくないと思っていることだろう。

人間社会の持続が危うくなっている理由は、環境に与える負荷が大きすぎることだ。地球を人間「も」棲める環境として持続させることが「環境との共生」の本質である。つまり、多くの人々にとって自然保護は、「資源保護」のことを意味する。新たな人間中心主義の一形態だと見ることもできる。

地球温暖化防止へのチャレンジが続く中、森林は大気中の二酸化炭素を吸収してくれる場所として大いに期待されている。森林への期待はそれだけではない。本コラムで数回にわたって取り上げている生物資源(バイオマス)を獲得・保管する場所としての機能、水をキレイにしてくれる、もしくは保持してくれる効果、多くの野生生物の生息場所としての役割も期待されている。

森林は、このほかにも様々な恩恵(=公益機能)を人間社会に与えてくれる。後に詳述する公益機能が確保されている限り、私たちの生活の快適性や安全性は持続できる。

私たちは、それらの公益機能を失わせる形で森林と付き合っていないだろうか? うまく付き合う方法はないだろうか? 今回から3回にわたって、森林と人間社会のより良い関係性について考える。第1回である今回は、以下の点を取り上げる。

  1. 日本には十分な面積の森林があるのか?
  2. 面積だけでは測れない、森林の「質」
  3. 森林の公益機能

第2回は、

  1. 森林が破壊される原因
  2. なぜ森林が注目されるのか?

について、お話しする。

第3回は、森林とうまく付き合うための具体的な方法について整理する予定である。二酸化炭素を効率的に固定する方法や林業問題なども、第3回で議論する。

1.日本には十分な面積の森林があるのか?

日本が森林国であることに疑いを持つ人はほとんどいないだろう。現状(2000年現在)は、国土の67%が森林で覆われている。郊外に足を伸ばせば、豊かな緑に覆われている状態を見るができる。一部の大都会を除けばさほど難しいことではない。

ところが、世界レベルで見ると、日本の森林面積は特別広いものではない。例えば、2000年における人口1人あたりの日本の森林保有面積は0.2haであり、カナダの7.9ha、ロシアの5.8ha、ヨーロッパ全体の1.4ha、世界平均の0.6haなどと比較すると、むしろ狭いくらいだ(図1)。

総務省統計局 世界の統計より作図
森林国のはずの日本の森林保有面積は「見方によっては」世界の最低レベルにとどまる

もっと言えば、砂漠を多く抱えた国と同レベルの狭さである。「日本は森林国だから、開発によって少々の面積を失っても大丈夫だ」と高をくくって、森林を壊して宅地を開発していると、消費大国であることに対する国際批判をさらに大きくしてしまうことだろう。

環境大国と呼ばれるドイツでも日本と同じ状況だ。ただし、ドイツは、森林面積が増加傾向にある。日本はそうではない。

森林資源の中でも重要な、木材に目を転じよう。2月3日に掲載された山脇氏のコラムの図1でも紹介されているように、現状の森林資源を有効に利用すれば、木材に関しては、日本国内の供給力だけで十分に賄えるという計算が成り立っている。しかし、これは、あくまでも、木材の使用量が現在よりも増えないという前提での話である。様々な資源がバイオマスに切り替わろうとしている中、実際にはかなりの量が不足することだろう。

現在は石油から作っているものや、燃料の一部を材木に置き換えれば、当然ながら、材木の消費量は激増する。それを補うためには、さらに多くの木材が必要になる。日本の森林が置かれた状況は、決して明るいとは言えない。やはり、社会全体で省エネルギー、省資源を同時に進めることが、森林資源について考える上でもポイントになるだろう。これについては、第3回で提案する。

2.面積だけでは測れない、森林の「質」

以前、中国に視察に行ったとき、広大な砂漠の中で潅漑(かんがい)によって運営されているリンゴ畑において、中国の役人(それも、国家レベルの高官)から次の話を聞いた。

「中国では、近年の砂漠化や大洪水を防ぐために、退農還林(農地を森林へ戻していくこと)を目標に、各地で植樹活動を行なっている。このリンゴ畑(写真1)も、農地を森林に戻すための対策のひとつ。単に森林(写真2)に戻すだけでは、住民の現金収入が確保されないため、果樹園化も退農還林の一部と位置づけている」。

普通は果樹園を樹林とは言わないものだ。果樹園まで樹林と位置づけるのか? 樹木が覆い茂っているのが樹林の姿だと思っていた筆者は、これには驚いた。だが調べてみると、世界各地で同じ理屈での「植樹」が進められているようだ。

この「理屈」は、一時的な措置として取り扱っておかないと大変なことになる。例えば乾燥地域では一面の果樹園、熱帯地域では一面のパームヤシやユーカリのプランテーションをつくり出してしまうだろう。このようなモノカルチャー(単一の植物種の栽培)が環境によくないことは、3月8日の光井氏のコラムで指摘済みだ。日本の森林をスギやヒノキばかりにしてしまった「拡大造林」も、見方によっては、同じ「理屈」が生み出したものと言えるかもしれない。

写真1 潅漑によって整備された中国西部のリンゴ畑
住民の現金収入を確保しながら樹林を再生するためには、やむを得ない植樹の姿だという。

写真2 中国西部の半乾燥地域で再生しつつある森林
表土に保持力が無いため、少ない本数の苗をまばらに植樹するよりも、種子と接着剤を混ぜた緑化資材を吹きつけることによって種からの芽生えを促した方が再生しやすいとのことだ。

森林といっても、いろいろな様態がある。また、その扱いも国によって異なっている。プランテーションや庭園、街路樹までを森林と位置づけている国もある。日本だって、植樹したてのスギの人工林を森林にカウントしている。

材木生産のための用材林と天然林の生態系は、明らかに異なるものだ。つまり、森林の面積が広いか狭いかだけでは、バイオマスをはじめとする森林生態系からの様々な恩恵(=公益機能)の量を正確には把握できないのだ。

同じ面積でも、何倍もの二酸化炭素をため込んでくれる森林と、そうでない森林がある。3月4日掲載のコラムで、光井氏が「フードマイレージの値を鵜呑みにしないほうがよい」との論を展開したが、森林についても同じことが指摘できる。統計データは統計データに過ぎない。どう解釈するのかが重要で、だれか他人の解釈の入ったものにはご用心ということだ。

写真3 植樹したてのスギ人工林(左)と、大木のスギ人工林(右)
土砂崩れを防ぐ機能、水を蓄える機能、生物多様性など、左右の写真の森林における公益機能が同じレベルにないことは明らかだ。しかし、統計上は同じ森林と計上される。なお、右の写真は林齢210年のスギ人工林で、立木の樹高は30m以上。胸高直径は2mを越える。

3.森林の公益機能

なぜ、森林を保護したり、再生したりする必要があるのだろうか? それは、森林からの恩恵(=公益機能)が人間社会にとって不可欠だからである。森林の公益機能を整理すると、以下ようになる。

■森林の有する公益機能の例


  1. 生物多様性保全機能 遺伝子、生物種(植物種、動物種、菌類)、生態系の保全

  2. 地球環境保全機能 地球温暖化の緩和(二酸化炭素吸収、化石燃料エネルギーを代替)、地球気候システムの安定、酸素供給

  3. 自然災害防止機能/土壌保全機能 表面侵食防止、表層崩壊防止、その他の土砂災害防止(落石防止、土石流発生防止、飛砂防止)、土砂流出防止、土壌保全(森林の生産力維持)、その他の自然災害防止機能(防風、防雪、防潮など)

  4. 水源涵養(かんよう)機能 洪水緩和、水資源貯留、水量調節、水質浄化

  5. 快適環境形成機能 気候緩和(夏の気温低下と冬の気温上昇、木陰など)、大気浄化(塵埃吸着、汚染物質吸着)、快適生活環境形成(騒音防止、アメニティ)

  6. 保健・レクリェーション機能 療養(リハビリテーション)、保養(休養、休息・リフレッシュ、散策、森林浴)、レクリェーション(行楽、スポーツ、釣りなど)

  7. 文化機能 景観(ランドシャフト)・風致、学習・教育(生産・労働体験、自然認識・自然とのふれあい)の場、芸術、宗教・祭礼、伝統文化、地域の多様性維持(風土形成)

  8. 物質生産機能 材料、原料、食糧、肥料、飼料、薬品その他の工業原料、緑化材料、観賞用植物・愛玩動物

  9. 雇用促進機能

もし、これらの公益機能のどれかを失うと、他の何かで補うことが必要になる。例えば、材木確保という物質生産機能を高めすぎると、自然災害防止機能/土壌保全機能が低下し土砂崩れが起きやすくなる(写真4)。すると、その対応に多額の資金を投入すること必要になる。現在の日本の姿そのものだ。経済的にはおそらく損であろう。

また、材木と異なって、他の公益機能の大半は「輸入できない」。公益機能を低下させることが、地域にとって損な選択であることは自明だろう。

写真4 土砂崩れしやすい人工林(左)と某1級河川の源流付近の様子(右)
土砂崩れは川の水を濁らせるばかりか、流れの姿を変えてしまう。特に、設計や管理がいいかげんな林道から崩れることが多い。右の写真の河川は、源流付近であるにもかかわらず、土砂で埋まり中流のような姿となった。このような姿を、今では全国各地で見ることができる。

もしも自然災害防止機能/土壌保全機能を下げることなく、物質生産機能を高めることができるなら、多くの環境問題が解決し、防災や水質浄化のための資金投入を少なくすることができるだろう。この一挙両得のための森林管理技術の開発は各所で進んでいる。今後の展開に期待したい。

公益機能の中で、短期的に見て最も重視すべきは、自然災害防止機能/土壌保全機能である。これがないと、流域全体の安全性と快適性が下がってしまうからだ。川の水がすべて濁ってしまったら皆が困る。

いっぽう、長期的に見ると、生物多様性保全機能と地球環境保全機能を下げないようにすることが「良い」結果をもたらす、という考え方が専門家の間で共通理解になりつつある。これが結果的に自然災害防止機能/土壌保全機能を維持することにつながる。

公益機能全体を高めるためには、「公益機能」とひとくくりにするのではなく、機能間の関連性を整理して考えることが必要だ。何かの機能を確保することが、他の機能の確保につながる。公益機能の中で優先順位が付きつつある。



中島 敦司





地球温暖化問題や、植物生理、森林生態学などをテーマにする気鋭の研究者。「温暖化が植物に与える影響」の証拠データや写真などを多数保有。2003年、本コラムにも登場した長谷川明子氏らと「ビオトープ—環境復元と自然再生を成功させる101ガイド(誠文堂新光社)」を共著し、自然再生の分野でも独自の理論を展開。ネット会議「近自然の広場」のオーナーも務める。和歌山大学システム工学部。


中島氏のホームページ



コメント一覧

この記事のコメント受付は終了しました。

私も環境に関わる仕事を選択している人間の一人として意見を述べさせていただきます。
今回の記事には共感すると同時に自分自身の考え方を裏付けるものであるということを感じました。従来より同様の見解を持ってはおりましたが、このような適切な表現がわからなかったことが自分にとっての矛盾であったようにも思えます。
ただ、私が考えるに、自然に対する基本は当記事の内容で理解できますが、今の日本においてこれらをより的確に推進するためには何が必要か、誰の協力が必要かが重要であると思います。この記事のような情報を提供できる方々や、じみちに同様の努力をしていられる方々などが存在することは理解できても、現実として国レベルでの本格的な活動が見えてきません。そうした中、現在環境関連パフォーマンスを展開している企業は何をしているだろうか、自社の広報に利用することばかりが目立つため、実際の活動を評価する気持ちにはならない。それより、こういった実質的な理念、活動をバックアップすると同時に腰が重く、判断が不十分な行政の活性化を促す存在にはなれないのだろうか?と。こういう現実を考えたとき、当記事の一部にあった環境保護のためには人類が滅亡すればいいという極論に共感することがままあります。
各起業はグローバルになる必要があると言われて久しい今日ですが、起業規模だけではなく、文化面、環境面でもグローバル化を認識し、それらへの貢献役を担って欲しいものです。

樋口と申します。
森林についてですが、日本国内には国有林の他に、個人が所有している森林があります。
現在、個人の持っている森林(山)は、所有しているだけで、材木の売却、土地としての売却による利益以外に無いように思えます。
しかし、環境という観点からすれば、それ以外に多くの環境に有益な産物があります。
このような、自然に有益な産物にあるにも係わらず、税制的な特例がないように思えます。(あるとしたら、私の勉強不足です。申し訳ありません)
税制的な恩恵がないとすれば、自然環境を販売するという新しいビジネスがあるように思えます。

歴史の教えるところは、杜の消失=文明の終焉 です。
日本は戦後、物・金が全てという価値観一色に塗りつぶされ、
今日まで来ています。一部反省はありますが、大勢としては
未だ、転換していません。
そういう中でも、具体的且つ有効的な民主導の施策の企画・
立案が最重要課題ではないでしょうか?
残念ながら邪魔する存在以外の何者でもない国・官から独立して進められるプランがないと殆ど進まないと思います。

樋口様 伐採された森林跡地に植林する場合、また間伐する場合、それぞれに補助金が行政から支払われます。また、森林や農地の固定資産税は宅地に比べ安く押さえられております。
このように意外と農地、林地は税金が投入されております。一番の問題は、ここで生産された物が、遠い海外から入ってくる物と比べた場合、高価であることではないでしょうか。逆に言えば、関税をかけてでも海外からの輸入物の持つコスト競争力をそぎ落とす必要があるのではないでしょうか。
国家安全施策と国内産業保護、さらに海外の輸出国家の環境保全のため、環境にただ乗りして不当に安い輸入物に対し、フェアトレードを適用し、きちんと代価を支払う事が必要ではないかと考えます。
ところで、中島様、ひところ林野庁が言っていた過熟林ですが、CO2固定量は落ちても公益的機能は増しているのではないか。従って過熟林だから切っちゃえと言うのはかなりトンでもない意見だったのではないかと愚考しますが、如何なものでしょう

岡本 充記 様

 筆者の中島です。
 ご指摘ありがとうございます。岡本さんのご指摘には,ほぼ同意できますし,とても納得できるものでした。今回のコラムは,多少の不安もあった「思い切った論」を含んでいいましたが,安堵しました。このようなことですが,ご指摘のそれぞれについて,私の分かる範囲でレスさせていただきます。

岡本さん:今回の記事には共感すると同時に自分自身の考え方を裏付けるものであるということを感じました。従来より同様の見解を持ってはおりましたが、このような適切な表現がわからなかったことが自分にとっての矛盾であったようにも思えます。

中島:ありがとうございます。本件は,自然保護=資源保護という整理に関するご指摘だと思われますが,私も,現在のような考えに至るまで,相当に長い時間を必要としました。時には矛盾に悩んだこともありました。しかし,仲間と「共生」をキーワードにした近自然学をディスカッションしていく中で,現在のような整理に至りました。

岡本さん:ただ、私が考えるに、自然に対する基本は当記事の内容で理解できますが、今の日本においてこれらをより的確に推進するためには何が必要か、誰の協力が必要かが重要であると思います。この記事のような情報を提供できる方々や、じみちに同様の努力をしていられる方々などが存在することは理解できても、現実として国レベルでの本格的な活動が見えてきません。

中島:まったく,おっしゃる通りだと思います。森林のことに限ったことではないのですが,私が感じるのは,環境対策における,計画・施策と技術の乖離が大きいことが問題な気がしています。どちらが進んでいて,どちらが遅れているということではないのでしょうが,「現実」の抽出・認識には誰も成功していないし,「国レベル」となると,テーマが大きく複雑なせいか,スローガンで終わっている対応も少なくないと感じています。このため「本格的」ということでは,まだまだだと言えそうです。しかしながら,小さなことの積み上げによる環境対策「地域社会主義(地域・社会主義ではなく地域社会・主義です)」への期待の大きさを考えると,少しずつの積み上げって,やはり大切かつ効果的で,その中で,徐々にということが,さしあたりの現実的な対応だと思っています。なので,常々,「個人でできる小さなことだってバカにはできない!」と主張しています。その際の心配は「時間切れ」「手遅れ」です。なので,岡本さんをはじめとする専門家の皆さんの役割は非常に重要だと言えそうです。見極め時期を誤らないことが,専門家の役割として不可欠なもののひとつでしょう。私も,専門家の端くれとして,心したいと思います。

岡本さん:そうした中、現在環境関連パフォーマンスを展開している企業は何をしているだろうか、自社の広報に利用することばかりが目立つため、実際の活動を評価する気持ちにはならない。それより、こういった実質的な理念、活動をバックアップすると同時に腰が重く、判断が不十分な行政の活性化を促す存在にはなれないのだろうか?と。

中島:ご指摘のように,「民」が本気になれば,「官」は動かざるを得ないと,私も思います。そういうことでは,現実の進展は脇に置いておいても,「民」への期待は大きいです。企業における経営を考えた際,経営を持続させるということが重要なミッションだとして位置づけている企業は多いと思います。いや,大半がそうでしょう。しかし,これも,人間社会の持続が前提です。そのためには資源が持続しなくてはいけません。資源の持続のためには,少なくとも現在の生態系の持続が不可欠になります。このことは,おそらく,大半の議行(人)は分かっているのでしょう。しかし,「自社(自分)くらいは,良いだろう」との判断になりがちです。この積み上げは,誰もかれもが環境負荷を出し続けることになり,環境問題を悪化させます。なので,企業の経営を持続させるためには,生態系の持続を妨げては,結局は経営も持続できません。同じことは,個人に対しても言えるのだろうと思います。しかし,中には,パフォーマンスやビジネスネタだけでなく,社会貢献の一端として環境貢献に熱心な企業もあると聞きます。折衷もありそうです。なお,環境対策には,税金つまり皆のお金が使われることが多いですし,環境負荷は「皆の財産」である公益機能を奪うことにもつながりますので,片側で環境対策を実施,片側で環境問題を軽視という構図を,私は「割り勘勝ち」と呼んでいます。「民」は,自分のため,会社の経営存続のためは,重い腰を上げることが適切だと思っています。

岡本さん:こういう現実を考えたとき、当記事の一部にあった環境保護のためには人類が滅亡すればいいという極論に共感することがままあります。

中島:お気持ち,とっても良く分かります。私も全く同感です。かつては,そのような考えに支配された時期もありました。以前は,人類つまり自分の滅亡を望まないのに,環境問題にも無関心という人の方が圧倒的に多かったですからです。しかし,これでは,結局は,「あっちの人」「こっちの人」という区分けをつけるだけで,環境問題はほとんど解決されていかないということにつながると考えるようになりました。これでは何にもならないので,双方の垣根を取り払うことが重要だろうということになり,ならば環境共生つまり近自然社会の構築が良いとの結論に今のところ至っています。これは私の場合であって,岡本さんなら,もっと適切なアイデアが提案できるのではないですか?

岡本さん:各起業はグローバルになる必要があると言われて久しい今日ですが、起業規模だけではなく、文化面、環境面でもグローバル化を認識し、それらへの貢献役を担って欲しいものです。

中島:とても重要なご指摘をいただきました。グローバル化は,地域格差を小さくし,安全で公平な世界をつくっていく上で,とても重要な取り組みだと考えています。いっぽうでは,グローバル化の弊害として,地域固有の文化が失われていくという指摘もあります。環境条件の均質化による生態系や自然景観の均質化を引き起こすとの指摘もあります。確かに,世界のどこへ行っても,同じ町並み,同じチェーン店,同じ森の姿では,楽しくないし環境にも良くないと考える人は多いようです。片側では安心する人もいるようですが,私は前者です。本当のグローバル化というのは,岡本さんのご指摘からも読み取れるように,地域の個性を活かすことが前提だと思います。グローバル企業の森林再生なら,地域の樹種を選定するとか,商店なら看板のデザインや商品アイテムを地域に合わせることもできます。グローバル化した企業には,文化(自然や景観や人の心)を大切にしてもらいたいものだと,私も思います。

追伸:森林に直接関係のないお話ばかりを長々とすみませんでした。

樋口 洋 様

 筆者の中島です。
 ご指摘ありがとうございます。樋口さんのご指摘は,端的で,とても納得できるものでした。ご指摘のそれぞれについて,私の分かる範囲でレスさせていただきます。

樋口さん:森林についてですが、日本国内には国有林の他に、個人が所有している森林があります。現在、個人の持っている森林(山)は、所有しているだけで、材木の売却、土地としての売却による利益以外に無いように思えます。しかし、環境という観点からすれば、それ以外に多くの環境に有益な産物があります。

中島:私も同感です。コラムでも強調した「公益機能」は,すでに多くのものが税金で維持されていたりします。土砂崩れを防止する治山工事も税金で行われています。植樹にも多くの補助金が投入されてきました。このように,森林の公益機能は,すでに経済価値を持っています。でも,治山工事をコンクリートで行うのと,森林の機能を高めるのと,どちらが安いのでしょうね? ところで,川の水質浄化には税金が使われても,カルキ臭い水道の蛇口に浄水器を取り付ける個人はいても,森林の水質浄化機能に直接的にお金を払う人はほとんどいません。考えてみると不思議な話です。私は,「公益機能」のそれぞれが,経済価値を持っていると思っています。インフラとして森林整備しても良いくらいだと思っています。ただし,その額の大きさを聞くと,目が飛び出ます。試しに「森林 公益機能 億円」あたりを検索エンジンで検索してみて下さい。

樋口さん:このような、自然に有益な産物にあるにも係わらず、税制的な特例がないように思えます。(あるとしたら、私の勉強不足です。申し訳ありません)

中島:ご指摘のような税制的な特例は,徐々に増えてはいます。全国レベルというよりは,地域レベルものが大半のようです。これらが,環境対策として十分な予算があるかと言えるかどうかは未知数です。印象では,ぜんぜん不足だと思っています。それだけ,環境問題への対応には金がかかるということです。なので,最初から環境に配慮しながら経済活動や生活した方が,金銭的にも「得」だと言えそうです。

樋口さん:税制的な恩恵がないとすれば、自然環境を販売するという新しいビジネスがあるように思えます。

中島:ご指摘,ごもっともです。自然環境を販売するというのは,少しずつ活発化してきています。たとえば,価値の高い生態系を直接販売するとなると,土地の販売と同じ手続きが必要になりますが,最近は,里山とセットになった住宅地が販売されたりしもします。また,自然環境の再生技術の販売も,自然環境を販売するビジネスのひとつでしょう。いっぽうでは,公益機能の一部を販売するというのもあります。二酸化炭素の排出権取引などは,その一例です。開発などの環境破壊の代償に,どこか別の場所の環境再生や保護に資金を投じることが債券化している取り組み(ミティゲーションバンキングなど)もあります。このような直接的なビジネスだけでなく,様々な環境技術でのビジネスは,大なり小なり自然環境を健全化させて販売するビジネスでしょう。積み上げると,国内でも年間で20兆円を越える産業になるという予測もあるそうです。ある意味ビジネスチャンスですが,私たちは,それだけ,多額の費用を必要とするくらいにまで自然を壊してしまったということでもあります。額がさらに大きくなる前に対応することが,消費者としては「得」だと言えるでしょうね。

追伸:ここでも,森林に直接関係のないお話ばかりを長々とすみませんでした。

可児 康之 様

筆者の中島です。
ご指摘ありがとうございます。わが意を得たりという思いです。すでに提出済みの次回の原稿に,関連することを書いておきましたが,「杜の消失=文明の終焉」・・全く同感です。しかも,森ではなく杜とお書きになった可児さんのセンスにとても納得です。

可児さん:日本は戦後、物・金が全てという価値観一色に塗りつぶされ、今日まで来ています。一部反省はありますが、大勢としては未だ、転換していません。

中島:またもや森林には関係ない話になってしまいますが,お許しください。私は,自然保護の目的は資源保護としていますが,これは,原料や経済価値のある物資のみのことをさしていません。生きていくために必要な空気や水も資源ですし,景観(ランドシャフト)など心に関係するものだって保護の対象になる資源の一部だと思っています。そして,それらの資源保護をスムーズに進める方法論として有効なのは「歴史・文化保護」だと思っています。そういうことでは,可児さんのご指摘に,わが意を得たりと感じたのです。

可児さん:そういう中でも、具体的且つ有効的な民主導の施策の企画・立案が最重要課題ではないでしょうか? 残念ながら邪魔する存在以外の何者でもない国・官から独立して進められるプランがないと殆ど進まないと思います。

中島:私は,環境対策として,太陽エネルギーの活用が重要だと思っています。このため,太陽エネルギーが固形化された資源であるバイオマスの活用には大きな期待があります。バイオマスに限らず,太陽エネルギーは分散資源・エネルギーですから,集中資源・エネルギーである石油のように,どこかに集めてから再分配という方法だと,利用効率は下がるし,損出も増やします。特に日本のように地下資源(=遺産資源,枯渇性資源)に乏しい地域での経済持続・発展も,環境技術の対応も,次々と降り注ぎ蓄えられては放出される順次生産資源の太陽エネルギーを捕まえて実現することが環境問題を脇に置いても「得」でしょう。遺産資源は枯渇しますが,太陽由来の順次生産資源なら,どこででも次々と得られるからです。しかも,負荷は小さいし,生態系に循環しますから,環境にも悪影響を与えにくいものです。遺産資源に頼る生活は,貯金を食いつぶすようなもので,順次生産資源は,毎月の稼ぎで生活するようなものです。賢く使えば貯金も増えます。材木(家屋,家具など)としてバイオマスを保管するなどです。最近は,バイオマスを固体で使用することを「街の森」などと言う人もいるようです。順次生産資源を効果的につかまえる方法は,先の岡本さんへのレスでも書きましたが,「地域社会」での取り組みにあると考えています。そういうことでは,環境対策は「地域から」と考えています。それを,さらに細かく見ると,個人での取り組みがスタートということになります。このことは,前回のコラムで,光井氏が「小規模な農」の重要性を指摘しましたが,環境問題全体で同じことが指摘できます。ですから,可児さんのご指摘の「民」の役割は,極めて重要だと,私も思います。なお,その具体的かつ効果的なプランですが,各所で様々なチャレンジはあるものの,皆が納得できるものは出ていないというのが実情でしょう。しかし,「地域」「民」であるということは,積み上げを実現する第一歩なので,皆を納得させる大きな効果よりも,小さなことでも無駄ではないと言うのが持論です。さらに,近年の自然再生などでは,「住民の自立」「パートナーシップ」ということが言われるようになり,「民」の独立こそ重要だという施策も始まっているので,これらも育ってほしいものです。

追伸:またまた,森林に直接関係のないお話ばかりを長々とすみませんでした。

水崎貴久彦様

筆者の中島です。
ご議論,ご指摘ありがとうございます。かなり鋭いご指摘だと思いました。

さて,水崎さんのご指摘の「ひところ林野庁が言っていた過熟林ですが、CO2固定量は落ちても公益的機能は増しているのではないか。従って過熟林だから切っちゃえと言うのはかなりトンでもない意見だったのではないかと愚考しますが、如何なものでしょう」ということですが,私も,水崎さん同様に考えます。

確かに,二酸化炭素の吸収源(シンク)ということでは過熟林(林齢が進んで極相あるいはそれに近い成熟した樹林)は,樹冠を老齢木で閉鎖しますし,樹齢の進んだ年老いた樹木が多いので,若い元気の良い樹木が中心の若齢林よりも光合成の活性は盛んとは言えません。むしろ,過熟林では光合成と呼吸や有機物の分解などのバランスの関係から,二酸化炭素の発生源(ソース)に転じる可能性もあります。これが,水崎さんがご指摘された「過熟林を伐採して若齢林に転換した方が良い」という意見の理由です。しかし,炭素を蓄える力(ストック)は,過熟林で大きいと指摘されていますから,切ってしまっては,貯蔵されていた二酸化炭素の多くは分解系に移行し,かえって二酸化炭素を増やしてしまうとも考えられています。

また,ご指摘のように,過熟林では,様々な公益的機能が増していますので,これを失うと,それに見合う公益機能の補てんが必要になって,そこでは,資源やエネルギーが投入されることになるでしょう。すると,補てんのために二酸化炭素を増やしてしまうかも知れません。

二酸化炭素の収支においても,直接,間接,いずれにしても,樹林の公益機能を高めるよう,極相に近づけていく方が有利になる可能性があります。世の中の反応は,複雑に絡み合っているものですから,単純なモデルの結果だけで判断することが正しいかどうかは分からないでしょうね。

ところで,伐採した木を単純に燃焼させるのでなく。建築材や家具などとして使用することは,炭素をストックさせることでもあります。これが「街の森」ですね。

■お知らせ
4月9日、10日に、「近自然学」をテーマにした山脇正俊氏の講演会があります。私も参加しますので,皆さまへのレスは,来週以降になりますことをお許しください。

・4月9日 「体得! まるごと1日、近自然学: 環境に優しいまちづくりを考えよう」(参加有料)

・4月10日 「食から地球環境を考える −私たちの食卓と農業のつながりの再生をー」(参加無料)
パネルディスカッションと映画「おにぎり」の上映会です。

http://www.yamadagumi.jp/ecocollege/index.html

大変参考になりました。
「森林の水質浄化機能に直接的にお金を払う人はほとんどいません」という文章を読んで、例えば“全国民の義務として自然(森林)保護に奉仕するとしたら良い”と思いました。 このような形の増税は大賛成です。 健康にも良いですから。

中山光雄 さま

筆者の中島です。

ご意見ありがとうございます。治山や治水,公園の整備などで多くの税金がすでに使われている現状を考えると,他の公益機能に新規の税金が投入されても不思議ではないし,理由もたつと思います。

最近,森林の整備に税金が投入される事例が増えていますが,実は,以前と変わらないことでもあると言えます。ただ,使用目的が明確に説明されるようになっただけのことでしょう。あるいは,施策(行為)と森林の役割(公益機能)の関連性が科学的にも明らかになって,単に森林に税金を投入する,つまり林業家という「個人」への税金投入ではなく,公益機能への税金投入ということが説明できるようになったという見方もできそうです。

ただし,林業という個人の利益のために,公共財産である公益機能を大きく失って,それを皆のお金で補てんするというのは,不公平だという見方もできます。しかしながら,そういう個人が社会に及ぼした損益を皆で補てんする構図は日本では普通のこととしてまかり通っていますので(銀行の話など・・),森林関係者が特に割り勘勝ちで不当に得をしているという見方も一面的だと思います。私が,個人の幸せのために法律で許されている範囲とは言え,汚水を流してしまい,これを皆さんの税金で浄化することとなんら違いないことでしょう。程度問題の違いはあっても,同じ意味だと思います。まあ,なんでもかんでも,税金でという姿にも問題はありますので,個人が気をつけて,皆の財産の公益機能を下げないようにするという,小さなことの積み上げは重要だと思います。経営でも生活でも同じことでしょう。

なお,これに影響したのは,例えば林家の個人が強欲であったということではなく,森林施業技術が未熟な技術が一時的に横行してしてしまった過去の負の遺産と,その後,森林に関われば関わるほど経済的に困窮するという近年の社会背景が関わっています。ですから,林家のサポタージュだと決めつけてしまうことは一方的な見方で,私には抵抗があります。片側では,多くの公益機能を維持して下さっているのも,実際の森林関係者でもあります。ただ,もっと高い機能を要求するようになったということにはなりましたが・・

いっぽう,森林の公益機能向上への「参加」には,いろいろな方法があります。直接,森林に行って,森林管理をお手伝いし,公益機能を高める努力を実際にされている個人・団体を支援するボランティアもそのひとつです。森林や立木のオーナーになって,資金を森林へ還元するという方法もあります。あるいは,コンビニのレジの横に置かれている募金箱に釣り銭を入れることも,間接支援です。これらは,都市部で公益機能の恩恵を受けていることへのお礼の心だけでなく,当然の報酬を森林に戻すという見方もできます。多くの直接・間接の支援(負担)する人は,公益機能への評価意識が大きいということでしょう。中山さんのように,高く評価してくださる方が増えると,森林も健全な状態で維持されることへの期待が高まります。私も,中山さんのように考えたいと思いました。

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