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常に精密な調査をする必要はない

「評価は常に精密でなければならないのか?」というと、必ずしもそうとは言えない。人体を例に取ると分かりやすい。我々は、まず健康診断を行い、そこで不具合がみつかった場合に精密検査を行う。健康診断の結果を踏まえて治療を始めても、精密検査を行った結果、治療が不要だと判断されることもある。

事業評価も、同じように考えればよいのではないだろうか。例えば、平時は、住民の「五感による環境評価」など簡易な評価法をベースとする。その結果を、専門家が評価する際の基礎データとしておき、専門家が問題を感じたら、その範囲を重点的かつ精密に調査し、評価していく。そうすることで、安く、効果的に評価結果を得ることができる。そうであれば、同じ予算と時間であっても、より広い範囲の評価が可能となり、対策も立てやすくなる。

「評価は専門家だけで行うもの」という呪縛から解放されれば、住民参加の可能性が大きくなる。住民の中には、スキルの高い人も、これから高くなる人も含まれている。住民=素人だと決めつけるのは、損な選択だ。何より、前回のコラム(9月29日)の最後で示した、ランドシャフトによる直感評価と絡めることで、住民の関心をより高めることができるだろう。これは、住民のコンセンサスを得る上で効果的な方法でもあり、事業者にもぜひ勧めしたい評価の方法である。

終わりに

「近自然」は新しい考え方だ。今まで対立する要素であった「豊かさ」と「環境」とを両立させる。その実現には発想の転換が必要だ。最も大切なのは、個人個人が日常生活を窮屈にしない範囲で、できることから始めること。そうすることで、人生が豊かになるように図りたい。それこそが「豊かさと環境との両立」と言えよう。(山脇 正俊)

近自然学では、様々な提案をしている。しかし、普遍的な正しさを示す宗教ではない。「学」の立場から、環境共生社会を育てる際の要件を少しずつ積み上げているため、時にはあいまいな表現にもなる。発展途中だからだ。そして、環境共生社会を育てるのは、私たち著者ではなく、読者の皆さんご自身であることを述べて筆を置く。(中島 敦司)

「明るい地球の未来は、どうしたら手に入れることができるのだろう」。今こそ考え、行動すべきときではないだろうか。「近自然」の考え方が、ヒントになれば幸いだ。早くこの考え方が日常に溶け込んで当たり前になり、「近自然」という特別な言葉が消えてくれたらと思う。きっとそのとき、多くの笑顔が世界中に溢れているに違いないから。(長谷川 明子)

現代社会は、豊富な知識を容易に得ることができるようになった、しかし、一方で、情報の氾濫状態でもある。得た情報を、必要に応じて吟味したり、自分なりに再構築する必要があるだろう。常に考えていただきたい。「得られた情報は事実の一面を写しているだけなのではないか」、「別の見方もあるのではないか」と。同じことが近自然学にも言える。私たちが自ら考え、行動を手助けするものではあるが、マニュアルではない。常にポーラスターを考え、これまでに得た知識を知恵に転換するツールの一つにしてほしい。(光井 淳之)

中島 敦司(なかじま・あつし)

地球温暖化問題や、植物生理、森林生態学などをテーマにする気鋭の研究者。「温暖化が植物に与える影響」の証拠データや写真などを多数保 有。2003年、本コラムにも登場した長谷川明子氏らと「ビオトープ―環境復元と自然再生を成功させる101ガイド(誠文堂新光社)」を共著し、自然再生 の分野でも独自の理論を展開。ネット会議「近自然の広場」のオーナーも務める。和歌山大学システム工学部。

中島氏のホームページ

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