道路はクルマだけのものではない
――道路を自分たちのものとして考えられない理由の1つに、情報不足があるのではないかと感じています。例えば、道路をあと1万4000km作ると言われても、「必要かも知れないけれど、それがどの程度重要なのかが分かりづらい」というのが正直なところです。

東京大学 大学院工学系研究科 社会基盤学専攻 家田 仁教授
家田: そうかもしれませんね。これまで行政が分かりやすい表現をしてきたとは言い難いですから。
道路に携わる行政機関に「この道路はどのように使われていますか」と尋ねると、たいてい「1日5万台の通行量があります」といった回答が来ます。でも「自転車は何台ですか」「何人のおじいちゃん、おばあちゃんが通っていますか」「ニンジンは何本運ばれていますか」と聞いても、まず答えは返ってきません。
私はここに問題の本質があるのではないかと思っています。
道路を使うのはクルマだけではありません。自転車も走れば歩行者もいて、年配の方も小さな子供も通ります。また、物流にも使われますから、自分自身が通ったことがなくても、その道路を通って運ばれてきたニンジンやミカンを口にするかもしれません。こんな風に説明をされれば、もっと道路が身近に感じられると思いませんか。
――確かに、そうですね。なぜ、行政はそういう表現をしないのでしょう。
家田: 鉄道の場合は移動の履歴が料金徴収によって残りますし、子供料金等の設定もあるので、ユーザー分析がなされています。また、女性専用車両が登場すれば、女性客がどんなことを感じているのか、他の利用者にも広く伝わります。道路はその部分があまりに遅れているんです。本当の意味で誰がどう使う道路なのか、そこが議論されていない。
こうなってしまった原因は歴史的背景にあると思います。日本はもともと鉄道主体で幹線交通を計画し、駅にアクセスするための交通手段として道路を整備してきましたが、第二次世界大戦で状況は一変しました。
戦後、新たに交通計画を策定するときに初めて、道路を幹線交通として扱おうという発想が生まれます。復興には物流が必要でしたし、道路がないと地方から人が流出するからです。
そのときは貧しさから脱却するために一般道も高速道路も必死に作ってきましたし、どれもこれも必要だったから、個々の道路についての議論や説得は必要とされませんでした。当時はそれで良かったのですが、その流れのままで今に至っている、という面があるのではないでしょうか。
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