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自分が“動物”だったら
何を食べるだろうか?

――安井さんの料理法を伺っていると、本当に簡単でいいんだな、凝ったことはしなくていいんだなと気付かされますね。ただ、これだけ多くの食べ物があふれている日本では、自分で作るよりも外食の方が手軽で便利だという人も正直、多いのではないでしょうか。

エッセイスト、料理研究家 安井 レイコ 氏

エッセイスト、料理研究家
安井 レイコ 氏

安井: 「飽食の時代」といわれるような時代ですからね。ちょっとコンビニに入るだけでも、数百種類の食べ物が並んでいて、どれを食べたらいいのか分からない。それ以前に「何を食べるべきか」なんて考えもしないのだろうなと思います。

でも、そういう生活スタイルは、必ず何らかの形で自分にはね返ってきます。実際、今、健康診断の結果を気にしている方はたくさんいますし、環境問題にしても、「飽食」という“食べるのに飽きる”ほどの大量消費を続けてきた結果の1つですよね。

その中で私が今、「食」を考える上で、一番、欠けているなと思うのは「食」イコール「命」だという意識なんです。「食べることは、生きるために必要なことなんだ」という意識。今はただ、CMで見た新製品や、飲食チェーン店の新メニューを「美味しそう」という感覚や、欲望だけで選んでしまう人が多いですよね。

そうではなくて、人間だって“一動物”なわけです。生物の分類でいえば、いわゆる霊長類の中の「ヒト」。だから、「自分は動物なんだ」「動物としての自分に必要な食べ物は何だろうか」と考えるべきじゃないかなと思います。

――「動物として」というのは、具体的にどういうことでしょうか?

安井: 例えば、年を重ねるにつれて、お肉を食べると胃がもたれる、という方がいますよね。それは動物として考えればごく当然のことで、人間が“動物として”生きていた場合、自分が「狩れるもの」「採れるもの」しか食べられないように、体ができているんです。

うちの長男でいえば、身長が180cm、体重が70kgキロという体格があるので、ある程度の大きさの動物……仔牛や豚くらいは狩ることができそうだなと思います。なので、多少のお肉は必要だし、それが体に“合う”んですね。でも、私にはそんな力はないので、鶏ぐらいがちょうどいいだろうなと考えます。そうやって、「動物として、自分が狩れる物を食べる」こと。この感覚が、現代には欠落しているのではないかなと思います。

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