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時代の大きい区切り説

20年に一度という理由には、いろいろな説を唱える人がいた。例えば古代人は両手と両足の指を数えて20を区切りとした。古代の人が認識できる数が20だったから、式年遷宮は20年に一度なのだという説も聞いた。まさかそんなことはないだろう。当時の日本人は九九すら既に知っていた。だが古代は20という数を満数だとして、20になると再び元に返ると思っていたとの説もある。


また昔の暦法では約20年に一度、11月1日が冬至になるということや、『万葉集』や「勅撰和歌集(※1)」の多くが20巻であること。さらに前回の第61回式年遷宮(1993年)の際には、小堀邦夫氏(現在 神宮禰宜)が、古代は米を20年間貯蔵させていたことに関係するのでは、という新説を出した。私にはとてもこれは興味深かった。


それは神宮の本殿の建築様式が、銅鐸に描かれた棟持柱を持つ高床式の米倉から発生したという説に基づいている。弥生時代の稲魂や神々を祭る高倉が発展した米倉には、『養老律令(ようろうりつりょう・※2)』の中の「倉庫令」にあるように、米をホシイイ(糒・乾飯)として保存したという。そのホシイイの貯蔵できる年限が20年を限度とする、つまり稲魂の生命力が20年だというのである。


さらに神宮の内部では少しもいわれないことなのだが、神領に住む人々は長い経験から、式年遷宮自体を時代の大きな区切りとみなして、内宮の東と西にある御敷地が、東にある時代は良い時代で、これを「米座(こめくら)」といい、西は「金座(かねくら)」であまり良くない時代だと言い伝え、時代や景気の変動をそこに感じてきた。 このことはいずれまたあとで述べることにしよう。

※1:勅撰和歌集 天皇や上皇の勅命により編集された歌集。後醍醐天皇の『古今集』に始まり、室町時代の『新続古今和歌集』に終わる。総称して二十一代集と呼ばれ、21のうち19の和歌集が全20巻である。
※2:養老律令(ようろうりつりょう) 701年に成立した『大宝律令』に基づいて、757年に施行された古代の法典。

画像提供:神宮司庁
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矢野 憲一

1938年伊勢市に生まれる。国学院大学文学部日本史学科卒業。1962年伊勢神宮に奉職。神宮禰宜、神宮司庁文化部長、広報課長、神宮徴古館農業館館長などを歴任、2002年退職。現在、NPO法人五十鈴塾塾長。専門は神道文化史・民俗学。著書に『伊勢神宮-知らざれる杜のうち』(角川選書)、『伊勢神宮の衣食住』(角川文庫)、 『ものと人間の文化史シリーズ・鮫・鮑・枕・杖・亀』の5冊(法政大学出版局、『大小暦を読み解く』(大修館書店)など多数。

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