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第3回 式年遷宮が目指すもの 「常若(とこわか)」という思想

2008年10月3日

矢野 憲一 氏


今回も引き続き、なぜ伊勢神宮の式年遷宮が20年なのか、その理由を述べようと思う。

民族の生命更新説

いつまでも新しいまま、古くならない建物はできないだろうか。しかも、神の住いにふさわしい尊厳さと美しさを常に保つ。そんな理想の建物を目指したいがどうすればよかろうかと、1300年前に当時の人々はおそらく考えたのだろう。


だがすべてのものは古くなり、汚れ、やがて廃墟となるのは世の定め。だから新しく隣に造り替えるしかない。それは単なる神様の引越しではない。生まれ変わりではあるのだが、死んでよみがえるのではない。いったん死んで復活するという、西洋の“神の死”とは根本から異なるのだ。簡単には言い表せないが、神道の場合は大昔から大自然の運行、特に太陽の復活を強く意識したと思う。その発想は、古代から根付く太陽の信仰を取り入れていたからであろう。


天照大神は『日本書紀』に「大日霎貴(オオヒルメムチ)」と書かれ、天の岩戸の神話でよく知られているように、太陽を象徴する女神である。


太陽を神とあがめるのは世界に共通した古代信仰であるが、わが国では太陽を、絶対になくてはならない、立派で明るく、優しい祖先の女神としてイメージしてきた。そしてその象徴である太陽は、宇宙を照らす一個の存在であるが、毎日新しい朝日が東の空に生まれてくると信じて拝まれてきた。


昨日の太陽は今日の太陽ではなく、年の初めの太陽は、さらに新しい初日として誕生する。また冬至には光が弱くなるものの、太陽が死ぬことはない。一陽来復――また蘇るというのが日本人の考えで、神道の信仰であった。その天照大神を祭る御殿の式年遷宮は当然、太陽の生命更新の思想に密接にかかわっていたに違いない。



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