第33回 【韓国編】旅の終わりに込み上げた涙の意味
韓国の農村に自らの原体験を見た夜
5日の間、同じ釜の飯を食べた人々との別れの時がやってきた。
夕方、文堂里(ムンダンニ)の村人たちは裏山にある赤松に囲まれた広場で、お別れ会を開いてくれた。ソウルから駆けつけた若い芸人たちが寸劇や獅子舞を披露した。ちょっと含みのある夫婦喜劇の場面では、気がつけば、手をひっぱられて、舞台の真ん中に座らされ、ボケ役を演じる羽目になった。たおやかな舞いを演じる芸人がすこぶるタイプだったので、本気で照れてしまった。
配られた握り飯を、村の子供たちと体操座りをしながら頬張った。私の隣には、知的障害を持つ幼児を抱いた母親がいたが、年寄りも、子供たちも、まるで親戚のように、その子の世話を焼いている。
最後の挨拶のとき、萬田正治先生が、感慨深げに、政治的に難しい状況のなかで(第29回参照)、手放しに歓迎してくれた村人たちに、お礼を述べた。実は、予定していた幾つかの訪問先では、公式な面会をやんわりと断られた。気を遣い、こっそり裏口から通されたり、景気のいい夕食をご馳走してくれたりしたが、日本人による公式訪問がばたばたと中止されたこの時期(2001年当時)、角が立つことはやはり誰もが避けたかったのだろう。それだけに、この村の人たちの勇気ある判断、心からの歓迎ぶりが嬉しかった。
湿った赤土のにおいがした。やわらかな夕日を背に、少し照れくさそうに萬田先生とプルム農業高校の洪先生とが肩を並べて立っていた。そのシルエットを見つめているうち、不覚にも涙が込み上げてきた。
それは、単純な嬉し涙というわけでもなかった。九州で育った私には、在日の友人がたくさんいた。気の弱さから、仲間外れに加担したこともあった。それやこれやを一気に思い出した。泣いているうちに、心の奥に刺さっていた小さなトゲが流されでもしたように軽くなり、今度は、もう居ても立ってもいられないような懐かしさが込み上げてきた。
説明する言葉も思いつかず、鼻を赤くしているもので、みんな怪訝な顔をしていたが、その晩のお酒は本当においしかった。

萬田先生(右)と洪先生
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