コーヒー畑と家族のために、出稼ぎにゆく息子たち
イリアーナの家で、おいしいコーヒーで一息した後、みんなでミゲールの畑を見にいった。お母さんがトルティージャを焼いてくれた。小さな村だから、10分も歩けば着いてしまったが、この畑に足を踏み入れてみて、初めて“アグロフォレストリー”、森林農法という言葉の意味を実感した。
コーヒーは、本来、森の日陰に自生する植物だから、条件さえ整えてやれば、農薬もいらず、おいしい実が育つ。そこで畑には、バナナやイチジクなどの高い木が何種類も植わっていて、その日陰でコーヒーが育っていた。収穫は、まだこれからという頃で、緑の実が多いが、すでに真っ赤に熟した実も見え隠れしている。

畑と言われて言葉をなくしたが、これこそアグロフォレストリーの現場。地面に近いところにこんもりと茂っているのがコーヒーで、その上に、適度な日陰を作る十数種類の高木が植わっている。
森林農法というと、何かほったらかしでいいように聞こえもするが、むしろ、その反対。ブラジルやベトナムの低地に開拓された平たいコーヒー畑とはわけが違う。高山の斜面の森である。4ha(ヘクタール)あるそうだが、まず機械化とは無縁。その上、泥にぬかったり、ジーンズの中にまで侵入するアリ軍団にかまれたり、楽ではない。ところどころに、3m近いコーヒーの木もある。
「背が低くて、実が詰っているのがカトゥーラで、この背の高いのはブルボンですよ」
そう言ってアルバーロが、藤の籠を腰に結わえ、収穫を見せてくれた。ブルボンは、1718年、フランス人が、イエメンのモカから持ち帰った種子からレ・ユニオン島のブルボンで生み出した品種で、アラビカ種の中でも味わい深いという。
ところが、実はあまりたくさんつけないし、背も高いから、高い枝をつかみ、折らないように撓(しな)らせて1粒ずつ手摘みしなければならない。そんなわけで、厳密な手摘みだから、収穫の頃は、とてもじゃないけれど家族総出でも間に合わず、遠い村からやってくる人を雇っている。
ミゲールが、ぼそりぼそりと口にする。
「一番、大変だったのは、2002、3年くらいかな。ところが、コーヒー危機で暴落した値段がようやく戻ってきた時には、今度はコーヒーが足りなくて困ってね」
すると、イリアーナがつけ加える。
「コーヒー危機の後、この村の息子たちは、大勢、アメリカに出稼ぎに行った。この時、ミゲールの長男は、こう言ったのよ。僕が出稼ぎに行くから、父さんは、コーヒー畑を続けてってね。コーヒー畑を維持するために出稼ぎに出なきゃならないのよ」
コーヒー危機が終わった今でも、ミゲールは、楽観していないようだ。
「僕は、どこまで続けられるかなって思うんだ。今の問題は、日雇いの賃金の値上がりだよ。一端、アメリカの物価に慣れてしまった子供たちは、戻ってきても、もう安い値段で働こうとしない」
フェアトレードで直売ができるようになったものの、この賃金の値上がりが、年々、小さな生産者を圧迫しているという。夏の暑い盛りにも、高木の枝を落とし、あまり日陰になり過ぎないように葉をすいてやらなければならない。コーヒーを2枝に絞る剪定(せんてい)の作業もある。下草は、みんな手で抜く。腰にくる重労働だが、とても人を雇うゆとりはないので、みんな自分たちでやるのだという。
「あと10年したら、僕ら65歳だよ、続けていられるかな」とアルバーロも俯(うつむ)いた。

背の高いブルボン種の収穫方法を教えてくれたアルバーロ
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