「健全な貿易」を意味するフェアトレード
起源は、定かではないが、1970年代、困っている人々を前にして、告解室で鎮座して待つのではなく、自ら町に出て、共に働こうという『解放の神学』の思想のもとに、多くの聖職者たちが、南米やアフリカの農村に身を投じた。
その中で、既存の貿易に不公平さを感じた人々が、伝統食や民芸品とともに村の文化を守りながら、これを市場化するシステムを作ることで援助しようとした。これがフェアトレードの源流だという。
エクアドルのサリナスという村に、こうしてあるイタリア人神父がやってきた。彼は、貧困と失業に喘いでいたこの土の痩せた村に、牧畜を普及し、7年かけてチーズ工場を作った。それが、今では豊かな村の代名詞のようになり、サラミや有機チョコレートまで作っている。

サリナスの村を変えたチーズ。今では村の特産品になっている。
キトに店を持ち、1980年代からこうした商品ばかりを扱っている『カマリ』は、150もの小さな生産者団体の組合である。国内だけでなく、ドイツやイタリア、スイス、日本にも輸出しているカマリの代表、ゴンサーロ・メルチャンが、こんなことを言った。
「フェアトレードってものは、環境にとっても、村人にとっても健全な貿易っていう意味さ。現行の貿易というものが、あまりにアンフェアだから、フェアトレードって言葉が生まれたんじゃないのかな」
そこで初めて、フェアトレードについて真面目に考え始めた私だったというのに、数日後、『持続可能なコーヒー国際会議』の準備会の席で、さらに衝撃的な話を耳にした。インタグ有機コーヒー生産者協会(AACRI)の代表ホルへ・トーレスの話である。
彼によれば、コーヒーの生産には、約50の発展途上国の少規模農家、約100万人がかかわっている。ところが、1999年以後の市場価格の暴落で、農家はみな大変な思いをしているという。最大の原因は、世界銀行が後押しし、政府も奨励したヴェトナムでのコーヒー栽培。さらに同じ頃、もともとたくさん作っていたブラジルでも、技術の向上などから生産量が倍増し、圧倒的な生産過多に陥る。
また、1965年から2000年まで、コーヒーの市場価格は平均85ドル、これに対し、現在(2004年時点)は17ドルだという。こうして投資も多かったコロンビアの約7割を先頭に、多くのコーヒー農家が畑を捨て、子供を学校にやれなくなった。2000年、飢餓に見舞われたニカラグアでは、農家に多くの餓死者も出た。
だが、ホルヘが強調したのは、深刻な生産コストの削減だった。この10年で、大手の広告費は65%から88%に伸びているのに、生産者に支払われるコストは35%から12%に削減されたという。

インタグ有機コーヒー生産者協会「AACRI」(アクリ)のホルへ。写真左は辻さん、その隣がアンニャ。長女の名は、ケチュア語でパチャという。
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