裂織が問い掛ける
リサイクル本来のあり方
今年の春、私は学生たち十数名とブラジルに渡った。サンパウロのコレクターズ(ブラジルでは段ボールなどの廃材を収集してお金に換えるホームレスの人たちをこう呼ぶ)とのワークショップを実現させようと、使用済みのガラス瓶を利用した学生作品のほか、様々なリサイクルデザインの見本を持って地球の反対側まで出掛けて行った。
荷物の中には、先述のシシリア先生たってのリクエストで、裂織協会会員の門田杏子さんと中西悦子さんからお借りした裂織の作品も入っていた。行く先々で多くの人々に見てもらったが、どこでも大人気であった。

着物の裂織(中西悦子・作)

着物の裂織の鞄。独特のプロポーションが美しい(中西悦子・作)

履き古したジーンズの裂織(門田杏子・作)

履き古したジーンズの裂織の草履。今、主婦の間でなぜか布の草履が流行っているという(門田杏子・作)
海外でも裂織と似たようなものはあって、英語では“rag rug(ぼろで作った敷物)”などと呼ばれるようだが、一般的に日本の裂織に比べると歴史も新しく、はるかに素朴な感じのものが多いように感じる。中にはいかにも“ぼろきれ”を裂いて、織ったり編んだりした手工芸品といった感じのものもある。
逆にいえば、日本の裂織が全般的に洗練されているのであって、その理由の1つはシシリアさんが言うように、「元の綿織物の質が高い」ということだろう。その品質の高さは、裂かれても織り直されても損なわれることなく立ち現われてくる。織られているのは単なる“布”ではなくて“文化の記憶”なのである。
かつて裂織は貧しい庶民たちの作業着として、寒さや傷から身を守る大切な役割を果たしていた。今日、「リサイクル」というと、ともすれば大量消費文明の後始末のようなところがあって、その結果、無理やり作られるものの中には質の悪いものや必要とされない製品も少なくない。
しかし、本来リサイクルというのは、かけがえのない大切な素材だからこそ繰り返し使い続けようとするものであり、だからこそ丹精の込められた美しいものになるのだ――裂織は、そう語りかけてくる。
▼参考リンク
コロンビア・スポーツウェア・カンパニー
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