第9回 筑紫さんが自転車に乗っていたころ
1948年、沼津
筑紫哲也さんが自転車に乗れるようになったのは、中学生になってからのことだという。
1948年、まだ日本が「戦後」だったころ、彼は東京の練馬区から静岡県の沼津に引っ越して、そこで自転車をマスターした。
ちょっと意外なことだが、筑紫さんはそのころ「肥満児で、運動音痴」だったそうだ。跳び箱もできないままに小学校を卒業したという。そんな筑紫少年にとって、自転車に乗ることはまさに「曲芸」そのものだった。
「おのれの能力に見切りをつけていたぼくにとって、不安定な二輪車に乗ることなど、到底無理だ、と最初からあきらめていた。乗るという発想自体がなかった」(出典:『BICYCLE NAVI』2001年夏号(通巻第二号)、二玄社。以下、引用はすべて同誌より)
これは筑紫さんに頼んで、ある自転車雑誌に書いてもらった文章の一節だ。
ところが、親父さんの転勤に伴って沼津に引っ越した筑紫少年には、どうしても自転車に乗らなくてはならない事情が生まれた。
転校した先の沼津市立第一中学校は自宅からすごく遠くて、歩いて行くのは到底不可能。しかし、電車とバスを利用したコースは、三角形の二辺を行くようなもので、とんでもなく時間が掛かった。だから「快適な通学を実現させるために、どうしても自転車に乗る必要があった」のだという。

沼津を走る八間道路(現国道414号)、昭和30年ころの様子
運動音痴で肥満児だった筑紫少年は、自転車に乗るのに人一倍の時間を要した。
「父が会社から借りてきた練習用の自転車は、当然、大人用の自転車で、短足肥満の中学生にとっては、かろうじてペダルに脚が届くというサイズだったのだが、子供用の自転車を調達するというような贅沢は、許されない時代だった」
筑紫少年は、近所の小学校の校庭で、その自転車に乗る練習をする。そして、散々に苦労した末、ようやく誰の支えもなく乗れるようになったとき、天にも昇るような気持ちだったそうだ。
「少年時代、一番嬉しかったことを二つあげろと言われたら、一つは初めて泳げるようになったこと、そしてもう一つは、自転車に乗れるようになったことだった」
その自転車を手に入れると、彼は自転車通学というだけでなく、どこに行くにも自転車ということになった。
「天に昇るかわりにぼくがやり出したのは、通学にとどまらず、やたら地上を徘徊することだった。行動半径は飛躍的に拡大し、生来の好奇心にドライブがかかって、知らない街を走り回ることに熱中した」
そこに“ジャーナリスト・筑紫哲也”の原点があるのかもしれない、筑紫さんは後年、そう語った。
「それからね、自転車に乗るようになって、ぼくの身体の養分は、横でなく、縦に働きだすようになったんだ。ぼくはいつの間にか肥満児でなくなったんだね」
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