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第11回 消滅する商店街と地方都市の未来

2007年7月24日

建築家=馬場 正尊 氏

生まれ故郷の
町の風景

この季節になると思い出す。僕は九州、佐賀の商店街の生まれで、実家はたばこ屋を営んでいた。夏休みになるとその手伝いで、店先に座っては道行く人を眺めたり、近所の人たちとどうでもいい会話を交わしていた。週末の夜は商店街組合が主催で「銀天夜市」という名の小さな祭りが路上で催され、通りはスイカ割りや射的の出店、そぞろ歩く人々で溢れていた。僕は田舎の夏の、このありふれた日常が大好きだった。25年くらい前の風景だ。しかし今、この商店街はない。この20年の間に一店また一店と店を閉め、とうとう開いている店はなくなった。僕の生まれ育った商店街はなくなってしまったのだ。わずか十数年、戦争や自然災害でもない限り、街がこんな短期間に失われてしまうという現象は極めて希有なことなのではないだろうか。何でこんなことが起こっているのか。もちろんそこには複合的な要因がある。

佐賀の商店街の風景。

佐賀の商店街の風景。昼間なのだが、人通りはほとんどない。

まず郊外のバイパス沿いに大型のショッピングセンターが相次いで現れ、圧倒的な品揃えと価格競争力で地元の商店街に打撃を与えたこと。組織的な展開力には、商店街の個人経営の店の集まりではまったく太刀打ちできない。さらにモータリゼーションが進んだ地方都市において、郊外のショッピングセンターへのアクセスは極めて快適で、逆に駐車場不足の市街地は買い物がしにくい場所になっていた。だから商店街は建物を壊し駐車場を増やしたが、それは商店街ならではのコミュニティやそぞろ歩きの楽しさを壊すことにもつながった。

商店街は取り壊され、そこが駐車場に変わっている。

商店街は取り壊され、そこが駐車場に変わっている。物理的に商店街が消滅するプロセス。

失敗を決定的にしたのが行政施策のミスだ。中心市街地の高度利用の掛け声と、それに伴う補助金や低金利融資をあてにして、既存の商店街を壊し一つのビルにまとめ上げたのだ。結果的に街から界隈性が一切失われ、新築にもかかわらずそのビルは空きだらけ。閑散とした風景に人々の足はさらに遠のいてしまった。こうなると、もうすべてが手遅れで手の施しようがない。この十数年、日本中の地方都市で起こった負のスパイラルである。そして、僕が育った街でも、それが起こってしまっていた。

おそらく全国のほとんどの地方の商店街は同じ運命にあるだろう。毎年、帰郷し変化を眺め続けていたが、都市計画や建築デザインなどでは、到底どうすることもできない構造的な力によって、街は確実に消滅に向かっていた。それを専門分野として大学で学んでいた僕にとっては屈辱的なことで、言いようもない無力感が蓄積されていった。計画の方法論もデザインも、この圧倒的な現実の前では、軽々と吹き飛んでしまうだけだった。

その商店街で最後まで営業していた僕のタバコ屋も、祖母が90歳を越えてさすがに店を続けることが困難になり店を閉じた。跡取りのはずの僕は今、東京に住んでいる。落ち着いて考えると生まれ育った街の消失に自分自身も加担してしまっていることに気が付く。少し胸が痛い。しかし、これは佐賀だけで起こっていることではなく、日本じゅうの地方都市で目にすることを余儀なくされた風景だろう。

商店街のダメージを決定的にしたのがこの建物。

商店街のダメージを決定的にしたのがこの建物。商店をこのビルに集約しようとした結果、共倒れになってしまった。商店街にはそぞろ歩きの感覚が必要で、立体的なビルにまとめてしまっては、郊外店との差別化がなくなってしまう。


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