「ニッポンの食」をテーマに2年半にわたって私なりに思うところを書き続けてみたが、連載を終える今日になっても、割り切れない気分から抜け出せないでいる。この国の食のありようは、あまりに恣意的で複雑で、とらえどころがない。何を追いかけてもぶつかるのは負の課題ばかりで、ありうるべきその姿をつかまえ切れない。私の力量不足を棚にあげて言えば、その要因のひとつに、この国の食の大半が海外からの輸入食料で占められていることにあるのではないか。自国の食と食文化を考えるのに、それを他国でつくられた食で語らなければならない矛盾。そのねじれの中に「ニッポンの食」がゆらぎ漂っている気がする。
60%ほどを占める輸入食料。その半分ほどはアメリカと中国からのものである。生きる基本の食料を外部に依存していれば、当然ながら内部は空洞化し、国内生産者はもとより消費者の日々の生活の不安を打ち消し難い。この国の末来の展望のなさは単に長びく不況のせいだけではなく、食の基盤のもろさと無関係ではあるまい。もろい基盤はいつも外圧にゆさぶられ続ける。アメリカ大統領ブッシュは、その就任まもない2001年7月、米国農業団体の集まりで、暗に日本の食状況を皮肉るように次のように演説したという。
「自国の食料さえまかなえない国がある。信じられるか? それは国際的な圧力と危険にさらされている国だ」
いうまでもなく米国の食料自給率は優に100%を超えている。食料は軍事とエネルギーと並ぶ対外的戦略物資。米国農業の余剰農産物は、国内食料さえまかなえない食料貧国日本に売りつければよい。日本を食料植民地にしてさえおけば、農学はもちろん、米国の優位性はゆるぐことはない。そんな思惑がこの演説から伝わってくる。

米国大統領の演説をききながら、思い出すギリシャの哲人の言葉がある。ソクラテスは弟子のプラトンたちに「国家にとって一番に大切なことは何か?」と問われ即座にこうこたえている。
「あらゆる必要の中で最初の、そして最大のものは、生命と生存のための食料の供給である」。
国家第一の、最大のテーマは国民食料の確保と安定化。その役割を果せず、食料政策を持たずに迷走する食料自給率39%の日本。相次ぐ食品事件も食料値上げも、食を軽んじてきたこの国が当然負わねばならぬツケの一部で、日本はこれからさらに食に苦しむ国になっていくのではないか。
拭い切れない疑念と深まる不安の中で、もはや食の末来を国や外部にゆだねてはいられないと、ささやかながら動きはじめた人々がいる、例えば都市近郊の市民農園の増加とその盛況ぶり。もはや公的機関が開設するだけでは足りず、農家自身が開設する「入園契約方式」の市民農園やオーナー農園がこの10年で急速に増えているという。加えて都市のベランダ菜園や屋上菜園。さらには定年帰農者も着実に増加し、若者たちの農業への接近も顕著になってきた。むろんまだまだ大きなうねりとはなっていないが、私なりに注目すべき新たな食と農の芽吹きであると受けとめている。



















