ニッポンの「食」

2010年8月16日

餅を5日に一度食べていた東北の村々

かつて地域には風土と食文化を反映する個性豊かな雑煮があったのだが…

 一年に一度、日本人であることをしみじみと確かめ味わう食事。それが正月の雑煮とおせち料理ではあるまいか。しかし最近の調査データが伝えるのは、正月に雑煮もおせちも用意しない家庭が半数近くを占め、準備をすると答えた家庭でも自分では作らず、実家で作ってもらうか、デパートやホテルメイドのものを買うのだという。そしてその内容はと問えば、洋風おせち、中華おせちという奇妙な「日本料理」が正月膳を占領し、それでよいのか、とデータ分析の解説子が嘆いている。だがしかし、日本の食の現状を深くは問うなかれ。洋であれ中華であれ、家族一緒になって正月の膳を囲む姿は絶えてはいない。それだけでもよしとせねばならぬ時代を、私たちは生きているのではあるまいか。

 それにしても日本の正月膳の主役でもあり、お年玉の由来でもある餅もずいぶんと食べられなくなってしまった。総務省家計調査によれば餅の1世帯当たりの年間支出金額は2155円。10年前よりさらに35%も減り、若い世帯では年間500円ほど。かつて晴れの日の食事の代名詞であった餅食が日本の食卓から消えようとしている。

 翻って餅は酒とともに神仏に供える最高の供物だった。祭りはもとより年中行事、人生儀礼の節目に人々は餅をつき、その餅に特別の力があると信じ、それを食べることを何よりの喜び楽しみとしてきた。この千年の餅食文化を柳田国男は「餅に力ありという信仰は日本人の起源をとくカギである」とさえ言い切った。その餅が力を失ったのはいつ頃からか。餅を食べることを何よりの楽しみにしていた日本人にどんな変化があったのか。それを知りたくて私は東北各地の村々をたずね歩いたことがある。

 恥ずかしながら私は長いこと日本の村は貧しいと勝手に思い込んでいた。過疎、耕作放棄、報われぬ労働…。そんな言葉に惑わされていたのかもしれない。まして封建体制下の日本はなおさら。生かさず殺さずの農民政策。重い年貢。凶作、飢饉。米を作りながら米を食うことさえかなわず、為政者の圧政にあえぐ農民の暮らし。江戸時代の農民は貧しい。そしてその末えいたる近代の農民もまた、と勝手に想像していた。

 だが、東北の村々を歩き、そこで営まれた食文化をたどっていくと、そうした思惑を裏切るたくさんの事実にぶつかる。米も食えないはずの農民が年に 50〜60回も餅を食べていた。村の古老に「楽しみは何でしたか?」ときけば「そりゃあ、何といっても餅を食べる日さ」と口々に答えが返ってくる。「若い頃は5日に一度は餅のごちそうを食べたもんさ」となつかしそうにふり返る。

 いうまでもなく餅はハレの日の食事。しかしそうした日が5日に一度あったとはにわかには信じがたい。だがそれを裏づける資料が次々にみつかる。宮城県松山町史には次のような記述がある。

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かつて東北には70〜80種類もの餅の食べ方があった >>

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